沖縄社会大衆党 結党70年 委員長談話

2020年11月4日

沖縄社会大衆党が結党70年を迎えました。 沖縄のための政治を目指し、保革を超えて広く県民の皆様にご支持をいただき、心より感謝を申し上げます。 首里城が燃えて一年。琉球国の歴史を持つ沖縄において、また未だ70%の米軍基地が集中させられる等、ローカルナショナルパーティの果たす役割と存在は必要であるとの認識に立ち、党勢厳しい現状にはありますが、高良鉄美委員長を先頭に頑張る決意をあらたにしているところです。 県民の皆さまからの変わらぬご支持ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※沖縄タイムス社、琉球新報社におかれましては、社説で大きく取り上げていただきまして、誠にありがとうございました。 ーーーーーーーーーーーーー 1950年10月31日、今も沖縄で最も長い歴史を持つ一つの政党が誕生した。同年6月には朝鮮戦争が勃発、沖縄から米軍の爆撃機が飛びたち、多くの米兵も派遣された。悲惨な沖縄戦が終わってわずか5年、沖縄は再び戦争の黒い影に覆われていた。戦況が激しさを増すにつれ、米軍・米兵による事件事故も多発した。人権が蹂躙される度に住民は立ち上がり、抗議の声を上げた。しかし、名実ともに米軍の統治下にあっては、平和に生きたいという住民の叫びを受け止めることはなかった。まさに沖縄の自治は「神話」的状況にあった。 そのような中、政治の恩恵が住民に等しく行きわたるべきことを信条として、自治権の拡大と健全な経済発展を図り、すべての社会不安を除去することを基本政策とする、沖縄土着の「沖縄社会大衆党」(以下適宜社大党)が産声を上げたのである。 結党の2年後、1952年の沖縄社会では、4月に琉球政府が設立され、沖縄・奄美を日本本土から分離するサンフランシスコ講和条約も発効した。結党宣言では、「この2年の間で、沖縄は自立しなければならない!」と戒めるほど危機感を露わにしていた。社大党は自治・自立、平和、人権尊重を求め、復帰運動において中心的役割を果たしてきた。1972年5月15日、「平和憲法の下への復帰」のスローガンを掲げて、沖縄復帰は実現した。しかしながら、日本本土における憲法の形骸化は進み、沖縄の復帰後も残った広大な米軍基地から派生する事件事故は後を絶たない。真の「平和憲法の下への復帰」が達成されていないことは明白である。 「大衆の立場から住民全体の世論を統合し、これを政治に反映せしめ、且つ、住民が生活権の確立を政治的に解決するための大衆政党の必要性を痛感」した70年前の結党宣言当時と沖縄の現状は重なっている。住民意思を無視した辺野古新基地建設工事が現在進行形で強行されている。また、沖国大米軍ヘリ墜落事故、オスプレイ墜落事故、保育園・小学校への米軍機部品落下事故、PFOS漏出事故などは記憶に新しい。結党当時と比較すれば、社大党の党勢も縮小したことは否めない。しかしながら、先に触れた米軍統治下の歴史と向き合い、大衆とともに歩んできた土着政党の社大党だからこそ、まだまだ求められることはあると考える。結党から70年、あらためて、日本国憲法の精神を堅持し、平和で民主的な真の地方自治の確立により、ゆたかな沖縄の建設を図ることを目指す。                 2020年10月31日 結党70年を迎えて 沖縄社会大衆党中央執行委員長 髙良鉄美